言語は、一枚の風景画のようなものだ。美術館で作品を鑑賞することを連想される方もあるだろう。人間ははじめて絵に接した時に、距離感というものを忘れがちになるが、実際に視覚と作品の関係は、作品と自分との間に存在する距離によって決められることが多い。例えば、手元に持つ絵と、それを3メートル先に置きながら見る場合、さらに10メートルも離れてその絵がひとつの点景にしか見えない場合を考えると、我々の感じ方は果たして一緒だろうか。言い換えれば、距離というものは、一枚の絵に対するわれわれの凝視を和らげる効果があるに違いがない。そして絵を除いた周りの空間は絶えず視覚の領域にしぼりこまれてきて、人間の感受性にますます大きくなっていく参照係数を提供してくれる。一枚の絵は、ただひとつの画像であるが、それは動き続ける現実の世界を切り取り紙面上に静止状態で凝固させたのであろう。人間は、生きている限り、思惟という活動を止めることが容易にできない。だから静止画像も一種の流動する感性に変わりながら、われわれの感覚を刺激することがあるように思われる。